2013年06月26日 小島美佳 [バランスト・グロース パートナー]
2000年ごろから注目されはじめ、頻繁に使われるようになった「ダイバーシティマネジメント」という言葉。振り返ると既に10年ほどが経とうとしています。そして雇用機会均等法が制定されてから41年。 まだまだ日本企業や国の組織には重要なポストに女性が少ない、など世界的にダイバーシティマネジメントの取り組みが遅れているとされる日本ですが、時代を遡り、私たちの先輩であるビジネスウーマンの苦労話をお聞きすればするほど、確かに現在は女性にとってだいぶ働きやすい職場が多くなってきている、そんな視点にも立てる気がします。
本稿では2部にわけて多様な価値観を組織で活かしていくために得られるインサイトを「マイノリティ」の視点で描いてみたいと思います。多様化する組織の在り方、その中で得られる価値の増大という課題を抱えている皆さまへ、刺激になる内容をご提供できれば幸いです。
「それは、見えないところで起こっている:指示にそれとなく従おうとせず、雑務をやりたがらない部下の存在。会議で意見が聞き入れられない事態。勤務時間後の付き合いや週末のゴルフに参加しないことで、チームに協力的ではないと思われがちな状況…そんな中で自分は意欲的であることを『証明しないといけない』と感じる状況に追い込まれること」
この記事は、ニューヨークタイムズのAt Work; The Struggle for Minority Managers から抜粋・意訳させていただいたものです。この内容、「マイノリティ」という立場に立ったことのある方にとっては共感できる要素が多いのではないかと思います。実は、この記事は1993年3月に書かれたもので、話題の対象となっていたのは黒人の男性マネジャーたちでした。アメリカといえばダイバーシティマネジメント先進国のイメージが強いですが、20年前とはいえ、この内容をご覧になって皆さんは何を感じるでしょう…。
多様な人種が多い印象のあるアメリカ企業ですが、例えば、黒人の男性マネジャーが障害を感じることなく実力を発揮できる素地が現在は整いつつあっても、今度は黒人の女性。そしてヒスパニックの男性、ヒスパニックの女性、アジアの男性、アジアの女性、アラブ系…ひいては同性愛者など、どのような状況においても「マイノリティ」は存在し、そして苦労を強いられる環境がある。記事を読んでいるとそんな風に思います。
「戦場」というと大げさな表現かもしれませんが、マイノリティとして組織に入ること、特に管理職として責任あるポジションに着くことは決して楽なことではありません。ましてやマイノリティの採用や登用の第一陣となる方々は、企業側からの期待やプレッシャー、配属された職場からの複雑で多様な反応など、通常の社員とは全く異なる環境下で成果を出さねばなりません。
マイノリティとして採用、登用された方々の葛藤は、自分自身とマジョリティ社員がもつ価値観や行動様式が異なることに起因します。専門職など、仕事内容や成果が明確にしやすいプロフェッショナルの場合はハードルが低くなりますが、マネジメントなど、会社独自のルールや既存社員がもつ特徴的な行動様式、特に明文化されにくいルールの影響が強い場合は、どうしても困難がつきまといます。
当然のことながら、第一陣として採用、登用されるのは優秀な人材です。そのため、社内の見えないルールに気づかずに大きな失敗するケースはほとんど発生しません。むしろ、ルールに気づきながらも、自分自身の価値観を変え、ルールにすり寄って成果を出すべきか、または自分自身の価値観を職場にブレンドさせるのがいいのか、自分が信じることを貫いて納得のいかないルールと戦うべきか…どう立ち居振る舞ったらよいのか、それに迷うのです。 例えば、ある企業の役員を担う女性はこんな本音を語ってくださいました。
「私は、自分を育てて、サポートしてきてくれた男性役員に『どれだけ非公式なコミュニケーションが重要なのか』ということを説かれ続けた。お前にはそれが足りないと。でも、中学生の子供が家で待っているのに根回しのための飲み会に出席することなんてできなかったわ」
会社が長年かけて築き上げてきた見えないルール。優秀な社員は、おそらく瞬時にそのルールやパスを察知し、このパスを通して成果を上げるに違いありません。しかし、そのルールに従うことができない、或いは自分として納得がいかない場合はどうするのか?雇用機会均等法が制定された直後の女性たち、マイノリティ第一陣で活躍した彼女たちの多くは、男性たちが構築し慣れ親しんでいたルールに従うことを選択さぜるを得なかったのかもしれません。そんな葛藤の中でも成果を出し続けてきた、そんな風に思います。
次回に続きます