私共は、直近半年間かけて、財閥系製造業の開発・製造部門を中心とした事業部門全体の変革プロジェクトのお手伝いに関与する機会を頂いた。本コラムでは4回にわたり、その事例紹介をさせて頂く。(執筆:石井 由香梨)*尚、機密性担保のために、一部事実を変更して記載させていただきます。
前回は、プロジェクトメンバーが組成した3つのプロジェクトの途中経過、そして15名のリーダー陣が自身のアセスメント結果に向き合い、自身に課したテーマをご紹介した。
*3回目【変革実行の難しさ】変革の過程で、組織間の壁や自身の心の葛藤に向き合う
第4回目は、下記2点についてレポートさせて頂く
■3つのプロジェクトはどのような成果を出したのか?(組織視点)
①海外工場への日本の知恵伝承プロジェクト
②開発のテーマアップ仕組み化プロジェクト
③量産化時における開発から生産への移管プロセス仕組み化プロジェクト
■リーダーとして自身に課したテーマをどう克服したのか?(個人視点)
①自分の意思よりも周りの意思、会社の意思を尊重して行動するB部長
②自分の意思を明確に出すが、時に他部門やメンバーと衝突も起こるC部長
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■3つのプロジェクトはどのような成果を出したのか?(組織視点)
15名の部長が組織変革をテーマにいくつかのプロジェクトを立ち上げた。
ここではそのうち3つのプロジェクトをご紹介する。
尚、そのプロジェクトを進めるにあたり、定期的にプロジェクトメンバー15名と我々コンサルタントが集い、各プロジェクトの進捗報告及び、そのプロジェクトに関わっていないメンバーや我々からアドバイスを行った
①海外工場への日本の知恵伝承プロジェクト
<趣旨>
A部長が3か月中国工場に赴任し、製品の歩留まり率を日本工場並みに改善させる
<ぶつかった壁・葛藤>
・女性韓国人製造部長との衝突
・マネジメント層の派閥(工場長派と製造部長派)
*詳細は前回レポートに記載
<A部長以外のプロジェクトメンバーからのアドバイス>
・プロジェクトの趣旨は歩留まり率改善だが、そのことだけにフォーカスして突っ走ったとて、一枚岩になっていないマネジメント層、そしてA部長が対立した女性韓国人製造部長が抵抗勢力となる
・よってまずは、マネジメント層の人間関係を構造化し、それぞれの特徴、想い、利害を想定した上で、各人に合ったコミュニケーションを取り、関係構築を図ることが第一歩(実際プロジェクトメンバーが質問を投げかけながら、人間関係構造図、及び各人に対する対応策を作成)
・特に製造部長とのコミュニケーションには細心の注意を払う必要がある故、A部長が言い過ぎたと思っているのであれば、自らが誠意をもって謝って関係修復を試みる
・マネジメント層の亀裂が入っている原因を明確にした上で、A部長はどこの派閥にも与することなく、公平に、亀裂修復のためにリーダーシップを発揮することに加え、日本の手法を伝える際に、やり方を伝えるのではなく、「なぜそれが必要なのか?」といった必要性を伝える
・卑屈にならず、傲慢にならず、冷静にフェアに日本のやり方を伝える
・韓国で孤独を感じた時は、電話でもメールでもして日本の仲間を頼る、甘えるも良し
上記アドバイスを聞いたA部長は、まず「一人ではない」ことに救われていた。実際韓国に赴任しているのは、自分ひとり孤軍奮闘しているように感じるが、自分のことは日本の仲間が見守ってくれており、親身にアドバイスをもらえることに勇気づけられていた。加えて、ひとりでは見えづらい組織の課題が、プロジェクトメンバーとの対話によって俯瞰することで構造が見えてきていることが収穫であった。
<成果>
最も分かりやすい成果は、歩留まりが75%から94%に劇的に向上したことである。この数値に至るまでに、上記プロジェクトメンバーからのアドバイスを最大限活用しながら、明確に目標を掲げ、日本のやり方を写真やビデオを使いながら分かりやすく伝承し、A部長自身が現場に入り込んで変革を推進していった。A部長曰く、変革の兆しは、お祭り騒ぎのイベントとして、工場にある不要物をみんなで片付け、数十袋のゴミを出したことから始まったそうだ。日本人にとっては当たり前の整理整頓が、中国工場で働く人々にとっては非常に新鮮であり、その新鮮さが意識に変化を起こした。新しいことが始まる!そのワクワク感が皆を動かし、組織が歩留まり改善に向かって動き始めたのである。
一方、女性韓国人製造部長をはじめとしたマネジメント陣とも、A部長は丁寧なコミュニケーションを取りながら関係を作り、お互いが理解し合うことで信頼関係が生まれた。またA部長が期間限定ながらマネジメントチームに加入したことで、それぞれの派閥の緩衝材となり、チームの団結につながった。
一言で言うと、このプロジェクトは大成功に終わり、経営からも高い評価を得た。
②開発のテーマアップ仕組み化プロジェクト
<趣旨>
営業が顧客から開発要望を受け、その要望に開発部門が答えるという開発テーマアップのフローを営業部門と開発部門が協働して行うことで、「顧客の課題解決策つながり得る開発を効率的に実現するための開発テーマアップ仕組み化構築」を目指すプロジェクトである。
<ぶつかった壁・葛藤>
・自分達の思考の幅の狭さ
・自分達の能力に対する嫌悪感
<本プロジェクトメンバー以外からのアドバイス>
・開発側の主張をする前に、営業部門がテーマアップにどのような問題意識を持っているのか、さらには開発部門をどのように見ているのか?を理解するために、直接営業部門へのインタビューを行う
・提案資料は相手目線を持ち、相手のロジックを踏まえて作成する。そのためにも営業戦略の立て方、営業活動の肝、など彼らが普段考えていること、学んでいることの基本概念を学ぶ
・営業と開発が協業することで、営業がどのようなメリットが得られるのか、を伝える
・プレゼンをする際に、自信のなさから控え目にプレゼンをするのではなく、自分達の強い想いを立ち振る舞いによって伝える。自信がない⇒プレゼンが控え目になる⇒本当にこのプロジェクトをやりたいのかが聴き手には不安になる、という悪循環を止めるべし
上記は文字にすると、当たり前のことの様に感じるが、ほぼバリューチェーンを超えた交流がない会社で、数十年開発一筋、製造一筋の部長にとって、営業部門の仕組みを理解し、そして提言を行うことは相当なチャレンジであった。尚、部門間の心理的距離の背景には、ひとつは営業部門が東京に位置するに対し、開発・製造部門は東京から新幹線とタクシーを乗り継ぎ、6時間の場所にあるという地理的距離、そしてもうひとつは、長年、開発・製造部門が感じ続けていた「我々は営業の下請け部門」といった被害者意識や劣等感が大きく影響していた。
<成果>
本プロジェクトの最終発表は、東京の事業本部長、営業部長がわざわざ新幹線で工場までお越しくださったが、その成果は我々コンサルタント宛てに事業本部長が下さったメールが象徴している
*メール文面*
実は私、形式的なお勉強会の発表会だろう・・・くらいの斜に構えた気持ちで〇〇に向かっておりました
そして私の予想は完全に裏切られました。
本音・本気で「やりたいことをやろう」と言う彼らの叫びを聞かせて頂きました
~以後省略~
彼らの発表は事業本部長、営業部長の心を打ち、今後部門を超えてこのテーマに本気で取り組んでいくことを、社長もいらっしゃる前で約束してくださった。
さらに上記以外の成果としては、「開発・製造部門が営業部門に提言をする」ことを通じた体得した自分達への自信、そして自分達は営業部門には物を申せない、という今まで囚われていた固定概念(誤った自己規定)からの解放であった。営業部門長との対話後の彼らの晴れ晴れした表情がそのことを象徴していた。
③量産化時における開発から生産への移管プロセス仕組み化プロジェクト
<趣旨>
開発部門と製造部門の情報連携が薄いため、開発が成功し、いざ量産化となった際に問題が発生することがあり、結局量産化に移管するプロセスで両部門の労力を必要以上に割いてしまう事態回避のプロジェクトである。
<ぶつかった壁・葛藤>
・総論賛成、各論反対
・人材育成がされていないこと
<本プロジェクトメンバー以外の協力>
「このプロジェクトは目の前のことに右往左往すると何も成し遂げられない。長期視点で考えるべき。そして捨てるものも定めるべき」というC部長の一言をきっかけに、
・長期視点でこのプロジェクトを捉え、短期的に失うもの、捨てるものを覚悟する
・物事を否定するのではなく、否定するのであれば代替案を出す
というルールが出来上がった。その結果、本プロジェクトメンバー以外も含めて15名全員で開発から生産までの工程を分解し、下記を洗い出した。
・それぞれの工程でどんな業務が発生しているか?
・何を変えていくべきか?
・変えるメリット、デメリットは?
・変えていくために誰がどこに異動させるか?
・どのくらいのスケジュールで実施するか?
上記を分析した上で、非常に粒度の細かい、緻密な提案を作り上げた。
<成果>
上記提案は、社長以下経営層の承認を得て、開発部門と製造部門の組織変更、業務プロセス改革推進が承認された。
加えて若手を本気で育成しなければ、この計画が絵に描いた餅に終わってしまう危機感から、若手育成プロジェクトも立ち上がった。何を学んでもらうべきか、どうやって若手の本気に火をつけるかを議論し、工場内に対話スペースの設置(未使用部屋を部門関係なく対話ができるスペースにレイアウト変更)、及び月一回の部長が講師を務める勉強会の実施が決定した。
■リーダーとしての自身に課したテーマをどう克服したのか?(個人視点)
①自分の意思よりも周りの意思、会社の意思を尊重して行動するB部長
部下から「B部長の意思が見えない。リーダーとして意思を示してほしい」とアセスメントに記載されたB部長は、「メンバーの意思を確認すると同時に、自分の考えを伝える場を設定するために、メンバーひとりひとりとの面談を月1回設定すること」を自分に課した。
ただし、自分の意思を伝えると言えども、自分の意思とは会社から与えられているミッションを遂行することであり、それ以上何が自分の意思なのかが分からない(正確には何が自分の意思か、自分自身で意識化できていない)という葛藤を抱えていた。
この葛藤を克服したのは、15人の仲間同士のコーチングであった。(このプロジェクトの中でコーチングの基礎概念を学んで頂き、我々コンサルがコーチングを行うこともあれば、仲間同士でコーチングを行うこともあった)
コーチングを通じて、自分がなぜ自分の意見を言わないのか、言えないのか(何を恐れているのか)、そしてメンバーや組織にどんな願いを持っているのかが浮彫になってきた。その自分自身への気づきをメンバーに率直に伝え、またメンバーにも想いを聴くことで関係性が変化し始めた。
②自分の意思を明確に出すが、時に他部門やメンバーと衝突も起こるC部長
C部長は、「相手の話を遮らずに最後まで聴くこと」を自分に課した。数名の部下から明確にパワハラを訴えられ、同僚や上司からも敵を作りすぎというフィードバックがあった背景がある。
ただし、C部長の根本的な葛藤は、行動変容以前の問題で、アセスメント結果を受け止めるところからであった。彼の心に蠢いていた感情は
そんな彼がアセスメント結果を受け止められたのは、意外にも奥様の一言だった。アセスメント結果を家族に見せたところ「あなたは子供たちにもそうでしょ。上から押さえつけるように言うから子供たちは逃げ場がない」と指摘されたそうだ。さらに子供たちも奥様に共感した。その家族の反応により、C部長はこのアセスメント結果を受け止める以外の選択肢がなくなった。
そして彼自身、「なぜ自分はこのような言動をとるのか?」を深く深く内省するようになった。その結果、自分の母親が自分に感情的に怒る姿が嫌で仕方がなかったが、その行動を今は自分が取っていることに気づき、さらにこの行動を取り続けると自分が孤立してしまうであろうことにも危機感を持ち始めた。(この家族の告白をプロジェクトメンバーにしたことは彼にとって非常に勇気が要ることであった。しかしこの告白をしなければ彼自身、自分を仲間に理解してもらえないと思っていたようにも感じた。)
そこで彼はまず部下に「お前」と呼ぶこと、話を途中で遮ること、命令口調で話すこと、を自分に禁じた。そして逆に課した行動は1日2回ニコニコしながら現場を巡回することである。その行動を続けること数か月、少しずつ部下から相談を受けるようになってきた。実際、最初にお会いした時のC部長と半年後の彼の表情は、全く周囲に与えるインパクトが異なっていた。「人は意思があれば変わることができる」をまさに証明してくださった。
以上が4回に渡ってご紹介した「開発・製造部門15名の部長による事業部変革プロジェクト」の全容となる。この事例から確実にお伝えできることは、「組織も個人も意思があれば変わることができる」ということである。勿論、半年間の間に浮き沈みはあったが、最後は15名全員が前を向いて、笑顔で終えることとなった。一人一人が組織と自分自身の成長を感じた半年間に関わることができたことに、コンサルタント冥利に尽きる幸せを感じている。
次回は、この事例から見える、組織開発が成功するための秘訣をご紹介させて頂く。
執筆:石井 由香梨(バランスト・グロース・コンサルティング コンサルタント)
リクルートスタッフィングにて5年間営業に従事する。(5年間連続目標達成、および全社、事業部MVP複数回受賞)その後、公募制度を活用し、リクルートキャリアに出向、転籍。経営企画部門マーケティング企画部にてシナリオプランニングプロジェクト事務局、市場調査チームおよび顧客満足度調査チームのリーダーを経験後、新規事業立ち上げに参画する。
2010年より7年間、株式会社グロービス法人部門、シニアコンサルタントとして主に大手製造業に向けた人材育成のコンサルティングを担当。企業内研修にてクリティカル・シンキングおよびビジネス・ファシリテーションの講師を担当。2018年バランスト・グロースに参画後は組織開発コンサルタントとしてエグゼクティブコーチング、オフサイトミーティングの設計・ファシリテーション等を手がける。
・米国CTI認定 プロフェッショナル・コークティブ・コーチ資格(CPCC)取得
・ORSC システムコーチング 応用コース修了
・青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科卒業
・グロービス経営大学院 経営学修士(成績優秀者表彰)