2013年04月22日 新井宏征[バランスト・グロース パートナー]
トルティーヤ騒動、リーマン・ショック、アルカイダ、スマートグリッド、そしてマインドフルネス。 一見、何のつながりもなさそうな言葉ですが、これらに共通しているのは「レジリエンス(Resilience)」という概念です。『レジリエンス 復活力–あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か』という本の中では、ここに挙げた言葉以外にも、消滅したサンゴ礁や結核菌などの例を使ってレジリエンス(レジリエンスは名詞形、形容詞形はレジリエント)という概念を紐解いています。
『レジリエンス 復活力』では、レジリエンスをシステムだけではなく人にも当てはめる概念としてとらえるという前提で「システム、企業、個人が極度の状況変化に直面したとき、基本的な目的と健全性を維持する能力(同書10ページ)」と定義しています。また、別の部分ではレジリエントなシステムに関して「混乱を予知し、破壊されたら自律回復し、激変する状況においても基本的な目的を見失うことなく体勢を立て直す能力を備えたシステム(同書8ページ)」と説明をしています。
物事の本質を理解する方法として「○○ではないもの」を理解することで、関係のないもの、似ているけれども異なるものをそぎ落としていくというものがあります。このような方法でレジリエンスを理解しようとしてみると、本書では「レジリエンスではないもの」として、「頑強性(ロバストネス)」や「冗長性」、そして「元の状態への回復」という概念が紹介されています。
このうち、「回復」はレジリエンスではない、という主張は私たちの感覚とはずれるものかもしれません(少なくとも自分はそうでした)。しかし、本書では、レジリエントなシステムは戻るべきベースラインが存在しない場合も往々にしてあり、絶えず変化する環境に合わせて流動的に姿を変えながら目的を達成するシステムこそがレジリエントなシステムだと説いています。
これまでの社会では、先進国を中心として、これらの「レジリエンスではないもの」の中でも、特に「頑強性(ロバストネス)」をひたすら追求してきたように思います。それは物理的にもそうですし、おそらく精神的にも頑強で、マッチョであることを良しとした社会的な通念がありました。24時間働き続けることを高らかに称えるようなCMがゴールデンタイムに流れていた時代もありました。
しかし、最近になって、そういう志向のほころびが表に出始めてきました。より正確に言えば、特別に先見性があるような人でなくても、そのような兆候を容易に感じられるようになってきています。増改築を繰り返した建物のように、外見は豪奢で、頑丈そうに見えるものの、何かの小さなきっかけが加われば、脆くも崩れてしまいそうな、そんな状態に今の社会はなってしまっています。
レジリエンスを向上させるための方法として、『レジリエンス 復活力』では次のふたつを紹介しています。
このふたつの方法を見てわかるように、これは経済や技術、社会などわれわれを取り巻く大きな仕組みだけにとどまるものではありません。
個々の企業にも求められるものです。それは東日本大震災以降、にわかに注目されているBCP(事業継続計画)を作ろうというような個別の施策の話しではありません。移り変わりの速い技術革新に翻弄され、自らがユーザとなることを忘れ、ひたすら「失敗しないこと」を目指してきた多くの企業が目指すべき、新しい姿かもしれません。
そして、もちろん個人にも、このレジリエントな志向や姿勢は求められます。「茹でガエル」のように、今の状態が良くないとわかっていながらも、大きなシステムに組み込まれ、どうしようもできないと信じ込み、気づいた頃には身の回りの状況がすでに回復できないようなところにまで陥ってしまっている。そんな話しがすべての人にとって他人事ではない今、個人にとってもとても大切な考え方になっていくでしょう。
必要性がわかり、方法論がわかったからといって、簡単にレジリエントな状況を実現できるわけではありません。
これまでは、ロジカルシンキングに代表されるような、世の中を細かい事象に分解するという還元主義的な世の中の理解をすることが優先されていました。しかし、個々の要素では問題がなく、完璧であっても、それが全体としてのシステムになった時に、矛盾が生じ、破綻するという場面が、最近になって頻発しています。
そのような中、これからはシステムを「全体」として見る視点を持ちながら、レジリエントなシステムを実現するための取り組みを行っていかなければいけないのではないでしょうか。
次回以降、この連載ではさまざまな側面から「レジリエンス」という概念を眺め、社会や企業の真の意味でのイノベーションを実現するための視点を提供していきます。