ディープ・デモクラシーは、1988年にアーノルド・ミンデルによって提唱された概念である。
そもそものデモクラシー(民主主義)とは、市民を主役とした多数決原理での決定とともに、少数派の権利も擁護するものである。しかし、実際は選挙戦での「勝ち負け」が争われたり、対立候補の弱点を攻撃するような理想とかけ離れた実態がある。また、少数派の権利を確保する法律が制定されたとしても、社会の実態は相変わらず多数派の原理によって動き続けることが多い。つまり、デモクラシーの理念は素晴らしいが、それだけでは足りないとミンデルは考えた。
多数決の原理が支配するデモクラシーとは異なり、ディープ・デモクラシーでは、全ての声を重視する。全ての声の中には、性別・学歴・民族などにおける主流派と少数派の両方の声を重視するという意味があるのは当然である。
それに加えて、自分自身の中にある強い感情・価値観や理念(主流派)だけでなく、現れ出ようとする自分の中の何か(少数派)にも注意を払うという意味もある。
また、事実やデータなど、お互いが容易に理解し合うことが出来るレベルの現実(CR)だけでなく、簡単には他者に理解してもらえない大切にしている思いや心のつぶやき(DL)、さらには全てのものの源であるエッセンス(E)のいずれのレベルの現実にも同等に注意を払うという意味もある(3つの現実レベル)。
ディープ・デモクラシーは全てのコミュニティーが形成される際に自然に発生するプロセスである。が、多くの場合は人々は、それに気づかなかったり、有意義に活用できない。古典的デモクラシー(民主主義)は、全ての個人を政治のプロセスに巻き込む努力をする。ディープ・デモクラシーでは、さらに一歩踏み込み、深いレベルのダイアローグを促進し、相いれないようにも見える価値観、異なる感情、異なるコミュニケーションスタイルを受け入れる。そして多数派が持っていて当事者たちには気づきにくいランク・パワー・特権が少数派の意見や思いを周縁化しかねないことへのアウェアネスを育むのである。
エイミー・ミンデルが提唱するメタスキル(スキルの背景にあるその人らしさ)との関連にも触れておく。多様性に対してオープンであり、異なる意見の間でのダイアローグを促進するためにはファシリテーターに「相手を受け入れる」というメタスキルが必要にも思われる。しかし、ディープ・デモクラシーではファシリテーター本人の中にも、それ以外の多様な要素である、タフさ・怒り・頑固さも含め、愛・手放し・他者の幸福への真の願い・合意形成への情熱などといったメタスキルを大切にすべきだと考えるのである。
ちなみに、ディープ・デモクラシーはその源流である政治におけるデモクラシー(民主主義)にも影響を与えている。例えばヒラリー・クリントン氏はディープ・デモクラシーという用語とその概念を活用する政治家の一人である。近年では国連のある高官が、こうした態度(ディープ・デモクラシー)を持つプロセスワークを、国連でも取り入れるべきだとコメントしている。