※前回のコラムはこちら VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(8)
主に自分の経験の棚卸しと整理を目的に1年間にわたり書き進めてきた本コラムも今回が最終回である。空前のオープン・イノベーション・ブームの中で、企業という大きな組織の中で如何にそれを有効活用し、組織内の起業家精神を新規事業創出という観点でどう果実に繋げていくかに関し、VC的視点で考察を述べてきた。しかし実は私にはもっと本質的に気になることがある。それは一連の動きが結局はブームに流されているだけであり、日本の事情も考えずに何の工夫のかけらもない、正に非イノベーティブな模倣に過ぎないのではないか、ということである。具体的に言うと、
以上の二つに集約される。この問題意識に従って現在私が立ち上げ中の新しいVCの話をすることで本稿の一旦の締めくくりとさせて頂きたい。
もう25年前になるが、ビジネススクールで学んだハーバードのケースで、ホンダやソニーがそれぞれスーバーカブや小型トランジスタラジオ(TR55)で如何にして米国市場に進出しそれをその後の成功のステップにしていったかに関して取り扱ったものを学んだ記憶がある。共に戦後まもなく、時代背景としては未だ高度成長期に入る前の話だったと思うが、振り返ってみるとこの手のベンチャー武勇伝がその時代以降殆ど存在してないことに驚かされる。また、日本市場の拡大と成熟により、海外市場で成功しないと未来はないという当時の決意と覚悟から随分と遠ざかってしまったことに改めて気づかされる。
90年代の終わりから2000年代の前半には、日本の携帯電話技術が世界を席巻しi-modeや写メールを筆頭に日本のケータイ文化は最も先進的で世界中のベンチマークとされていた、iPhoneが登場するまでは。だが少なくともその頃は間違いなく先ずは日本市場のみ考えていれば良かった。日本がマーケットリーダーになり得るポジションにあったからである。
一方で、ドコモを頂点とする通信キャリア主導のイノベーションとPCで世界を牽引してきたアメリカのイノベーター達との間には二つの大きな違いがあった。一つは、通信キャリアにぶら下がる日本のメーカーは、親分のキャリアが世界展開しない限り自国市場に留まらざるを得ない宿命にあり、実際ドコモはi-modeの他国展開に多額の資金を投じたものの失敗に終わったのに対して、OSという基本ソフトを押さえてプラットフォーマーとして君臨するモデルをPC同様に志向しているシリコンバレーの住人は、当初から世界展開を念頭に戦略をたてる自由度があったことである。
今ひとつは、日本は最後まで携帯端末を様々な制約のある「妥協のプロダクト」と位置づけていたのに対して、西海岸ではPCを置き換えるものとしてゼロから見直された開発方針を持っていたことである。別の言い方をすると、日本の端末は携帯電話に様々な付加機能が付いたものであり、スクリーンが小さいことやユーザーインターフェースはPCより劣ること、通信速度や処理速度、ストレージなどにおいて使い勝手が悪いことはある意味仕方ない前提条件としてユーザーに受け入れさせていたように思う。アメリカはというと、これまで脇役だったPDAにPCの使い勝手とモバイル通信機能を与え、電話も単なる一つのアプリケーションに位置づけた総合コミュニケーションツールに昇華させたと言えなくもない。
話をベンチャー武勇伝に戻そう。日本に一時期訪れた世界の牽引役としてのチャンスも、このように規制産業の庇護の元にある構造的に自国に縛られたエコシステムに依存していた。自力で世界を見据えることが難しく、またその必要性も薄かった。しかし、自国の市場は拡大していき、iPhoneやAndroidの世代になって世界へ通じるプラットフォームを手にした後もシリコンバレー発のイノベーションを日本仕様にアレンジしていち早く立ち上げるフォロワーモデルが多くを占めるようになっていった。
シリコンバレーは未だにイノベーションの宝庫であり世界の牽引役であることは間違いない。だがそのアドバンテージを享受することは容易ではない。単に模倣するだけでは差別化は覚束ないし、スピードでは他のアジア諸国に分がある。またそのイメージとは裏腹に閉鎖的なコミュニティでもあり、単身乗り込んで中枢に入り込める資質を持つ日本人も希だと思う。でも幸いなことに(?)、トランプ政権がアジア系含む海外のエンジニアなどの締め出しに動き、自国中心の政策を採り始めていることで、イノベーションの源泉である優秀で多様性ある人材を米国外で得やすい環境になりつつある。ここで二つのポイントを提示したい。
そういうチームを作るために日本に留まるべきではないし、それを可能とするコミュニケーション能力を磨かなくてはならない。当然ながら語学だけの問題ではないが、意思疎通を図る努力の段階から異文化を背景とした多様性の洗礼を受けることは間違いない。
日本の強みとは、一般的にはモノ作りのノウハウや半導体、素材、などのハードウエア、最近だとロボティクス、等を指摘すると一定の納得感はある。ただ、昨今の品質問題に絡む頻発するメーカー不祥事や、他のアジア諸国の追い上げなど悲観的な要素はつきまとう。高齢化社会の進展や人口減少なども予見される。それでも日本は他のアジア諸国とは別のステージに移行して新たなリーダーシップを模索すべきである。
見渡してみると、ICTの技術的進化による目先のアプリケーションに留まらず解決すべき地球規模の課題は多い。資源、エネルギー、環境、食糧、農業、ヘルスケア、教育、金融、等今後テクノロジーによるブレークスルーが期待される分野は広範だ。中心となるのがAIであることは疑いの余地はない。でも、これだけのフォーカスをシリコンバレーだけでカバーすることはそもそも現実的だろうか?
シリコンバレーという確立されたブランドに盲目的に依存しているだけのオープン・イノベーション・ブームだとしたら、一体どこがイノベーティブな活動なのだろうか?イノベーションへの投資手法ももっとイノベーティブであるべきではないか?
上記の視点に対する私の解は「オーストラリア」である。そう、コアラとカンガルーの国である。
無知から来る固定観念をゼロリセットし、現場主義に徹してこれまでの経験値を総動員して見えてくる姿は、「日本の強みを活かしたパートナーシップが世界を救う。」正にこれである。投資家的視点でみてもタイミングや競争環境、イノベーションの源泉など合理的な根拠を多く見出すことが出来る。
私は現在オーストラリアのスタートアップを主に投資対象としたVCを立ち上げ中であり、投資先ベンチャーが日本とのコラボを通じて飛躍の機会に繋げることが投資戦略であるが、このファンドにはもう一つの機能がある。それは、日本のスタートアップがグローバル化する手段としてオーストラリアというエコシステムを活用し、必要な人材確保とテストマーケティングの機会を重ねた後に真の世界展開へと繋げていくことを期待している。我々はこれを「急がば回れ」戦略と名付けた。つまり、スタートアップに関する日本のエコシステムとオーストラリアのそれをシームレスに繋げることで、人材や市場における多様性を確保しつつ日本の強みを活かした上で、人類の懸案事項に対処して行きたいのである。
また、これまで述べてきたような日本の会社組織における人材育成に関して教育的プログラム作成に貢献出来ればなお幸いに思う。
ありがとうございました。
※これまでのコラムは下記のリンクをご覧ください。
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(1)
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(2)
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(3)
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(4)
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(5)
VC型上司の時代―社内でイノベーションが起きるリーダーの条件(6)